引退3

CUBIC-CROSSとしての第一弾シングルで
失望した人が多かった。
でも当時の市井ちゃんの実力に合わせるとアレが精一杯だったと思うし、

よみうりランドでのイベントでも思ったほど集まらず。
そこで初めて生で市井が歌う姿を見た。
しかし周りが・・・
自分や、CUBIC-CROSSの最後の頃のファンのほとんどは
彼女を「アーティスト」としてみてあげようとしていた。
だが当時はハロプロDDや「当然娘。時代と同じ声援方法があたりまえ」と思う
人間が一杯いて、
その違和感がつらかった。

で、シングル一枚だけでツアーが始まる。
空席ツアーだった。札幌、福岡は昼夜2公演が夜1公演になり、
スタンディングのライブハウスに椅子を敷き詰めるといった状態だった。

曲数の足りない部分を邦・洋のカバーで補う。
それはすべて練習だった。
僕らは、市井ちゃんの公開練習に付き合ってるだけだった。
練習だもの、歌詞を忘れる、音をはずすのはあたりまえだ(笑)。

MUSIX!」でたいせーが市井ちゃんに「モーニング娘。」を忘れろと言ったくせに
ツアーで「モームスメドレー」をやるのはけしからん。

これが問題になったなあ。
たいせーの真意は「音楽製作の姿勢としてすべて”受身”であったモーニング娘。
の意識を捨て自発的に音楽を作る意識を持て」という意味だった。
あのシーンがたとえ、台本であったとしても、重要な言葉だった。

たいせーの市井ちゃんに対する姿勢はガチ。
自分で実権はなくても、マジで彼女を育てようとしてた。
彼女のレベルに合わせながらゆっくりと理解させながら。

2枚目、3枚目のシングルも練習。
基本的にねらいは小中学生だったらしい。
ピッコロタウン」は基本的に子供向けレーベルだから。

市井本人は「モームス」メドレーは復帰を待ってた、そして彼らのHPで市井本人を支えてくれたファンに対するお礼のつもりも在ったらしい。

このツアーは
CUBIC-CROSS」は見えないがコピーバンドのライブとしては最高だった。

この頃の市井ちゃんは、「娘。時代」と同じく、PPPHとかモーヲタ的声援を
認めてたな。しかも自分から煽って。

で、番組で他のアーティストと共演したりして、自分達の客層と他の客層の違いを感じ、
しかも自分達の客が番組や他のアーティストに迷惑を掛ける状態を見る事で
彼女本人も変わっていった。