引退2

武道館のライブビデオは何度も見たね。
そして現場に行きたくなった。

実際自分が「ヲタ」化していったのは2000年暮れ、PCを買って、娘。サイトを見るようになってから。
裕ちゃんの卒業に向けていた頃で
あの頃の2月、3月ぐらいの裏話の盛り上がりがすごかった。

「市井はやめたんじゃない『やめさせられた』んだ」

と思い込むようになってきた。
(そろそろ、妄想全開になってくるなあ・笑)

裕ちゃんの卒業ツアーは見に行きたかったなあ。
「戦う」旧モーニング娘。と「アイドルとしての」新モーニング娘。との交差点。

ネットで初めて
「アイドル商法のモーニング娘。」を知って
「一アーティスト」として見ていた自分は驚いたなあ。

同性人気、一般(OL)人気の高い、石黒、市井、中澤、(最近の保田)を卒業させてどんどん、一般人の入る隙を失っていくモーニング娘。
5期加入は年齢こそ若いけど原点に戻る「歌のために頑張るモーニング娘。
の最後のチャンスじゃなかったんじゃないかな。

こんなことやってるからメロンに流れちゃったんだよ(笑)

娘。論を今ここでやったってしょうがないのでもとに戻すと。

中澤卒業後、一気に売上を落としていった2001年秋、
(「恋レボ」→100万近く、「ピース」→60万、「ミスムン」→50万)
グッヅ乱発が始まったのもこの頃だった。

すでにこの頃から収益が落ち、すべてを縮小していかなくてはならない。
(その割にこの年はそれまでの「商品としての高い評価」のため多忙だった)

やめさせられた市井がなぜ戻ってこられたかというのは
「金になるものはなんでも使え」ってことで

武道館の伝説娘。を復帰させ
(シンガーソングライターの勉強なんかしてないのを解っていながら)
「ヲタが見捨てるまで」やれるだけ突っ込めということだった。
(このあたりが妄想ね)
 
復帰イベ、「フォークソングイベ」までの狂乱。
たいせープロデュースに疑念を抱く人が多かったが、
雇われプロデューサー、上からコントロールできやすい人物を配したと言えば
解りやすい。さらに無名で「ギターを出来ればいいや」のナオキも然り)

それでもね、いいチャンスなんだから
また操り人形であっても「自分でコントロールできる部分」が少しでも増やせればよいと信じてた。

「写真集」イベで横浜で握手