ハロモニ。バスガイド

最初の卒業者があって7人になったモーニング娘。は、1999年9月9日に9人でシングルリリースを目指し、2次追加オーディションを行なった。
オーディションから「歌」「ダンス」ともずば抜けて目立った13歳(当時)の金髪の女の子1人だけが合格し、「ラブマ」の確変ブレイクを呼ぶことになる。
北海道を中心とした地方出身者の「田舎っぽさ」のモーニング娘。にあって
東京の下町育ちの「都会っ子」の加入は大きなイメージ転換になった。
クールで無口な中学生を中心に、その後のモーニング娘。は動いていったのである。
その後、ブレイクしたモーニング娘。は「マルチタレント」J化し、たくさんのTV番組を持つ「バラエティーアイドル」の道を進む。その時運への対応で「奇跡のバランス」4期4人が入ることになった。
それでも、「オーディション」は「歌」「ダンス」「合宿生活の協調性」が課題であった。更にモーニング娘。の存在が「歌手」から「国民的アイドル」「ヲタ専アイドル」と変貌しても、5期、6期、7期のオーデョションの課題は「「歌」「ダンス」「合宿生活の協調性」で変わらなかった。(5期の時は「芝居」もあったが)

「バラエティタレントの可能性」を探る課題なんてなかったんだ。

どの番組でもクールで無口なエースは実は
・面白くてもどうリアクションしていいか判らない
・物を知らないから何が面白いかわからない
の裏返しだった。

彼女がソロコンを始める時、皆が心配したのは歌やダンスよりも「MC」がちゃんとやれるかどうかだった。

そんな彼女が
「バスガイド」役をきちんとやりこなせる訳がないだろう!

ごっちんが、がきさんを「にいにい」と呼んだ所で
「ああ、ごっちんの『モーニング娘。』は『DO IT! NOW』で終わってるんだ」と思ったよ。

バラエティ特性なんて考えてないで(選考中にそういう素質を見つけているのかもしれないが)オーディションを行なっていた。
そういう選考で入ってきた子達が芸人並みのリアクションを期待をしちゃいけないって。
弄る側(ガイド)弄られる側(乗客)双方がそういう状態なのだから
誰でも笑える『バラエティ番組』なんて期待できない。

もっと目線を下げてみれば
彼女達なりに面白く盛り上げようと努力してたのは見えるはずだから。